普通と‘‘違う‘‘感性の人の雑多記事

あなた、変だよね。とよく言われます。

完璧ではない自信家の欠点

記事を作成して一日が経過しました。

思ったより反響を頂いて困惑しています。ただ、たくさんの人に読んでいただけるということはまた自分という人間を理解してもらう第一歩としても良い傾向なのかなと。

 

中々こういう性格を受け入れる事ができる人間って少ないんですよ、人に好かれると昨日は書きました。実際その通りではあるのですが、嫌われやすい傾向にもあります。

比率で言うと8:2か9:1ぐらいです、10人居たら一人ぐらいは自分を好ましく思っていないと思います。才能で努力を上回る人間ですから当たり前といえば当たり前ですが。

そのことについては特に気にしていませんけどね。自分を妬むような人間はその程度、と思っています。

努力を微塵もしていない才能を追い抜けないわけがないのです。基本的には、ね。

妬む、という行動は上の人間を見ています。上を見るということは殊勝な心がけだとも思います。ですが負の感情はどうなんでしょうね。自分は人を妬む事があまりありません。妬んでも努力という行動があまりにも嫌いなので妬んで終わりです。普通の方はその感情で努力ができるのでしょうか?この点に関しては長年の疑問だったりします。

 

結局自分は才能で全てをどうにかしてきました。それ故なのか、それとも元々の性格なのか、先にも書いた通り本当に努力と言う言葉が嫌いです。「頑張って」という言葉があります。英語圏では「Good Luck」幸運を。という訳をします。その方が好きです。英語圏に生まれたかった。自分は「頑張って」と人に言われる事が嫌いです。ですが当の相手は自分を思ってその言葉を投げかけてきます。その善意を無碍にするわけにもいかないのでいつもモヤモヤします。それも悩みです。これもまた普通と‘‘違う‘‘感性というものでしょう。

 

ですが現在の私は大学受験生です。中学の頃のように塾へ通っているわけでもなく、学校で勉強をしているわけでもありません。そんな状況を客観的に見てみましょう。二週間の勉強で受かるわけがありません。そう、努力を強いられているのです。

そんな日々が最近かなり苦です。ろくに勉強していないのに焦燥感に煽られる、という矛盾した日々を送っています。努力の才能がなかったのは恨んでいます。

それは才能云々の話じゃないだろう、という意見もあると思いますが私はそうは思っていません。毎日コツコツ何かを継続することができる人、すごいと思います。生半可な気持ちじゃそのようなことはできません。才能です。私はその才能の持ち主をとても尊敬しています。

と、少々話がズレてきたので一旦リセットしましょう。文字を綴る、この際殴り書きと言った方が正確かもしれませんがその行動にも私は才能があります。

作文という行為が得意でした。いくらでも頭の中に書くことが浮かんできます。

そのせいか、タイピング入力速度に対して脳の出力速度が追いついていません。

タイピングも早い方ですが、脳には勝てません。お陰様で色々話が飛んでるな、と推敲しながら思っています。修正のしようがなくて困っていますが。それも時期に慣れるでしょう。

 

ではここから本題です。タイトルにも書いてある完璧ではない自信家の欠点とはいかがなものか。上にも多少書きました。簡潔にまとめると「才能故に嫌われることがある」「一般と違った感性を持ち合わせている」の二点です。まだいくらかあるのでそれを書いていきたいなと。

 

一つ目は「他人に求めるハードルが意識せずに高くなる」ということです。

最近自覚し始めました。他人と遊ぶ機会が増えたので。

実力の指標、というものがこの世界には存在します。それこそ以前書いた「ものさし」です。何度でも書きますが私は100cmのものさしだったら最初から80cmぐらいのところに存在します。継続したら90~98cmぐらいまでには届きます。(頂点は無理です)

ですが普通の人は大抵50cmからスタートです。当たり前でしょう。あとはその人の努力次第。ですが、継続しても上手くならない人だってたくさん居ます。自分の知り合いにもたくさんいます。彼らにとっての当たり前は50cmです。ですが、私の世界の当たり前は80cmなのです。その差は歴然。私は客観的に物事を見れます。なのでその差は理解していますし、極力求めないようにもしています。ですが18年間、80cmの当たり前で生活してきたのです。無意識のうちにハードルが上がります。自分の当たり前についてこれない人に憤りを覚えることが多々あります。これを書くのは三度目ですが天才と普通の境界に生きているのでもちろん理解はしているのです。理解しているからこそ憤りをを覚える自分自身に対して憤りを覚えてしまう。そんな葛藤に悩まされている日々です。詰まる所イラつくのです。周囲に良い影響を与えるわけがありません。

今すぐにでもやめないと。とは思うものの性格です。どうしようもありません。

ここ数年で抱え始めた悩みですね。私はいわゆる「エンジョイ勢」というヤツです。

実力だけでは俗にいう「ガチ勢」にも劣りませんし、むしろ勝てます。運動もゲームも。ですがやはりエンジョイ勢、実力が同じような人間を拾い集めて本気でやるよりも仲が良い友人とゆるく遊ぶ方が好きなのです。だからそこ仲の良い友人高みを求めてしまう自分が恨めしい。解決策あれば募集しています。ここに関しては私の脳みそを用いても解決できませんでした。

 

二つ目は「自信過剰の時がある」です。

私の人生に置けるポリシーは「客観的」です。故に自信過剰というのは稀に困る。

客観的に見ているつもりではあるものの、自信家というものは自信があるだけで全てが上手くいくわけではありません。極稀に失敗もします。特別恥ずかしいという感情はありません。余談ですがこの性格、恥を知るということが基本ありません、そこも良い所だと思います。

本題に戻りますが失敗した時に恥ずかしくなるわけではないのです。メンタルに来ます。自信家の自分は完璧主義の傾向にあります。だから基本失敗は許せない。悲しい、落ち込む、などの感情は湧き上がってきません、18年かけて培ってきた自信です、一度や二度の失敗でそう簡単に折れるものはありません。むしろキレるのです。自分自身に。「どうしてこんなに簡単な事もできないんだ?」と。

落ち込むよりも質が悪い。メンタルコントロール自体はできますが、プロの人間ではないので次の行動には支障を来たします。どうすればいいんでしょうね、メンタルコントロール。中々難しいものだと思います。それもまた人生の課題でしょう。

上手くできれば色々事が有利に進みそうなので是非とも会得したいです。

 

今回は完璧ではない自信家の欠点、というところに焦点を合わせて私の経験談を基にお話をしました。

私のような性格の人のみが経験するであろう独特な悩みだったと思います。

結局皆、振り出しに戻れば人間なのです。悩みを抱えています。ただ普通の人と私の違いはその悩みに対する向き合い方だと思います。深刻な悩みではあるものの、特別気にしていません。粗雑な人、と解釈されてもおかしくはありませんがそうではありません。これらの問題を重点に置きつつも、永劫に悩み続けても無駄ということを理解しているのです。私が数年考えて解決していないのです。つまり今後も向き合っていくような悩みということがわかりきっているのです。ではどうすればいいのか、解決をせずとも受け流す、その行動に徹することにしています。その結果が気にしない、です。この考えも私の良いところだと思っています。

この記事を読んでいるあなたも、自分を客観的に見て、良いところを自分で褒めてあげてください。次第に自信に繋がると思います。そうなればあとは楽です。適当に自信がなんとかしてくれます。このような経験ありませんか?「なんか知らないけどめっちゃ自信あるわ~失敗する気しねェ~」みたいなこと。このような感覚をあなたが抱いた時、失敗することはほぼありません。私は大体この感覚で生きています。だから成功するのです。ただ、先のような自信過剰にだけはお気をつけて。私も失敗はします。

完璧な人間はこの世に存在しないのです。

長くなりましたが一日自分を鑑みた結果です。

こうして文にしてみると自分の事ながら中々興味深いな、と。

次回は未定です。ふと生きていて感じた事があればまた綴りますが、今後は比較的短い記事が多くなると思います。結構色々書いてしまったのでね。。。

スタートダッシュをしすぎたような気もしますが、マラソンでも最初に飛ばした方が良い。と科学的根拠があります。同じかどうかはわかりませんが、きっと同じでしょう。これもまた変な自信です。

それでは、次回もお楽しみに。