普通と‘‘違う‘‘感性の人の雑多記事

あなた、変だよね。とよく言われます。

あなたが体験したことないであろう人生

人生とは

人生、そろそろ18年目になります。このブログ読む人は多分大抵の方が年上でしょう。

ですがこんな学生時代を送った人も居ないと思うので波乱万丈奇想天外奇天烈物語としてお楽しみください。

生後~12歳

多分比較的どこにでもいる普通の子でした。

裕福でもなく貧乏でもない。

田舎でもないけど都会でもない。そんな街でアパートを借りて暮らしていました。

その頃から他の人と違ったことはきっと才能です。年齢が年齢なので特に気にしていませんでしたが、何に置いてもに平均以下ということがありませんでした。

一位になることも少なかったですけどね、いわゆる器用貧乏ってやつでしょう。

水泳、そろばん、空手、塾、テニス、サッカー、色んなものを習っていたりもしました。今考えると結構多忙だったんだなぁと。

13歳~15歳

中学時代ですね、サッカーをしていたこともありサッカー部へ入部しました。

県大会とかにも出場するレベルで割といいチームだったと思います。

塾も継続していました、特別受験に力を入れるつもりはありませんでしたが親に流されるまま、といったところです。成績も学年10~20位ぐらいをうろうろしていました。その他の習い事はやめました。自分で言いますが結構全部上手かったです。好きではなかったですが。

と、表のお話はここまでになります。一つの転換点となります。

泥沼へ・・・

自分は昔からゲームが好きでした。幼稚園の頃からポケモンをしたり小学生の頃は外で遊びつつ太鼓の達人をしたり。それまでは良かったんです。至って‘‘普通‘‘でした。

ですがそこで自分は出会ってしまいました。結果的に見れば自分は後悔してません。

「何に出会ったか」って?「後悔って何?」って?

何ら変哲のないパソコンです、Macbookです。

世間一般でいうゲームというのはコンシューマー機(SwitchやPS4)、今は時代が流れてスマホのソシャゲですね。ですがPCでもゲームはできます。

自分は何を思ったのかPCでゲームをはじめました。ハイテクだったんです、自分。

 

と、少し前置きが長くなりました。別にゲームすること自体は問題ないのです。ですが昔から親にゲームの時間制限などを設けられていました。一般的?なのかはわかりませんが模範的な親なので当時は不満たらたらでしたがそのルール自体今では理解もできます。だがしかし中学生、自分の反抗期は早めでした。さらにPCゲームがすごく面白いのです。やめろって言われなければ冗談抜きで24時間やっていたと思います。

その二つが重なってすごく喧嘩しました。それでも中学の頃はしっかりタスクもこなして文武両道の鏡のような人間をまだしていました。そう、まだです。

受験期~16歳

受験生です。週4の塾、日曜は13時間、なんなら泊まり。今考えると本当に恐ろしい。

特別志があるわけでもなく高校など微塵も興味がありませんでした。どこでも良かったのです。どこでも良いのに選べってのも中々酷な事を大人は言ってきます。

「どこでもいい」と答えるとじゃああなたの成績で狙えそうな所を、と偏差値63ぐらいの高校を出してきました。正直もうちょい上も狙えましたが楽をしました。

妬まれそうな話ですが週4回の塾以外に勉強はしてません。受験の二週間前から家でも勉強を始めました。普通に受かりました。才能です。自覚があります。自分には人生を生きる才能がある事の。普通の人はきっとこの文を見ると憤りを覚えると思います。

完全な天才ではないので自分は普通と天才の境界線に生きてます。なのでその感覚が多少理解できます。この文も正直イラっと来るものがありそうですが、この後自分がもれなく殺される爽快ストーリーが待っているのでブラウザバックはお控えください。

16歳夏~現在(17歳末期)

晴れて高校生です。中学の頃、自分は世間で言う陽キャポジに居ました。

何人かに告られたり、彼女も居ました。サッカー部7番っていう肩書もありました。

そのせいか、何を思ったのか高校ではおしとやかに静かに生活しようと思ったのです。

人生の歯車が狂い始めた瞬間でした。自己紹介では何も話しませんでした。

部活やってない趣味特にない、と。

自己紹介でそんなこと言われた人間に関わりたいと思うヤツなんていません。

当然友達などいませんでした。中学の頃、同学年全員が友達、クラスメイトも当然。

つまりクラスメイト=友達。という常識を持っていたのです。一瞬で打ち砕かれました。クラスメイトはクラスメイト、友達は友達。違ったんですね、あれって。

昼を共に食べる人が居ないのでは当然、一言も学校で口を聞かずに帰ることが次第に当たり前になっていきました。

その生活がどれだけ苦痛か、想像してみてください。

職場でも事務やり取りすら聞かされない。存在しているだけ、人というより置物として見られている感覚。中々に辛かったです。次第に学校にも通わなくなりました。

しかし留年するわけにもいかず午後だけなんとか登校して留年だけ回避、というかなりイレギュラーな人間でした。目立ちたくはないがそうせざるを得ない。これまた結構キツかったです。自業自得ですけどね。

なんとか留年を回避して二年になりました。なんとか自己紹介で挽回しようとしました。無理でした。いくらクラス替えをしても当然一年間その学校で生活していたのです。既にグループが存在しています。何も変わりませんでした。恥を晒して終わり。

そしてまた無言の生活が始まりました。一年耐えきったのも中々だと思いますが二年目はもう心も体もボロボロでした。二年に入って5月のGW、異常な腹痛に見舞われ救急車に運ばれました。原因は日々のストレス。精神科にも通わされました。嫌でした。

結局夏、自分は早生まれなので16歳でした。学校をやめました。偏差値63を捨てて通信の学校に転学しました。生活は楽でした。ニートと変わりありません。ただ、その生活を続けている今でも人と話したり関わることもありません。そこで出てくるのが伏線として張っていたPCです。今の時代、ネットにはいろんな人が居ます。

自分は今そこに縋って生活しています。それこそ一日の全てをそこへ・・・

このブログもそのネットの一貫です。後悔はしていません。楽しいので。

普通とは‘‘違う‘‘感性として

と、とりあえず自分の人生をざっと書きました。

ですがきっとあなたが求めていたものはこういうことではないと思います。

ですが、こんな人生を歩む人間もそう居ないだろうと思いとりあえず綴っておきました。

ここから本題、というとまたとてもブログが長くなるので次に書きます。

次回は普通とは違う人の思考回路と実生活です。きっと為になりますよ。